生きることは、食べること。
ドラマ「アンナチュラル」、ハマって何度も観てます。石原さとみちゃん、可愛いなぁ。
法医学者として、時に女性蔑視の扱いにも負けず、かといって硬くならず、しなやかな女性に理想の女性像を感じます。
このドラマで印象的なのが、随所に登場する食事シーン。いろんな状況で、いろんな想いを抱えながら食べるシーンは、しみじみと「食べることは、生きること」なんだと感じさせます。
昨年亡くなった私の姑も「食べることは、生きること」を体現していました。
長年ガンを患いながらも、ビックリするくらい、食欲が旺盛な人でした。
離れて暮らしていたので、数ヶ月に一度しか会えなかったのですが、会うと必ず食事に連れ出しました。
ある時など「和食が食べたいけど、食欲があまりない」と言っていたのに、なんと鉄板焼きのコースを頼もうとして私たちを仰天させてくれました。前菜のサラダからメインまで肉づくし…食欲ないが聞いてあきれるよ、と苦笑いしたものです。
そんな姑が入院したと連絡があったのは昨年の今頃。
病院に駆けつけてみると、ベッドに寝かされてはいるものの、思ったより元気そう。
もしも食べられる状態じゃなかったら…と、お見舞いに食べ物を持参しなかった私は、とりあえず売店で桃缶を買い、ムスメたちと一緒に食べさせました。
「ごめんね、次に来るときは、美味しいイチゴを持ってくるね」
と言うと、姑はいらないと言うので、じゃあ何が食べたいかと聞くと、思いがけない答えが返ってきました。
「もう食べたいものはないわ。美味しいもの、いっぱい食べさせてもらった。ありがとね」
そのセリフに少し不穏な感じを受けつつも、またまたーと笑って受け流すしかありませんでした。
「来週は用事があって来られないけど、再来週また来るから。その頃には退院してるだろうから、美味しいもの食べに行きましょうね」
そう言って別れたのが最期になってしまいました。
「食べたいものは、もうない」
そう言った姑は、ムスメたちと一緒に食べた桃缶を最後に、何も口にすることなく、その1週間後に息を引き取りました。
今でもよく考えます。
あの時、姑がひとつでも食べたいものを思い浮かべていたら、もう少し長く生きていてくれたんじゃなかろうか。
私が漠然と「美味しいものを食べに行こう」ではなく、具体的に「おかあさんの大好きなお寿司食べに行こう」と言っていたら、それを目標に頑張ってくれたんじゃなかろうか。
どれだけ考えても、姑は答えてくれません。
姑の死後、部屋を片付けていたら、ベッドの隙間や引き出しから沢山のお菓子が出てきました。
糖尿も患っていて義兄から厳しく禁止されていたので、我慢できずにこっそり食べていたんでしょう。
それほど食に対して執着のあった姑にとって、まさに生きることは食べることだったんだと思います。
姑と再び美味しいものを食べること叶いませんが、今日もよく食べて、よく生きたいと思います。