くしゃくしゃ、ポイ!で気持ちを軽く。

嫌なこと不快なことがあると、頭の中でイメージすることがあります。

嫌なことを紙に書いて、それをくしゃくしゃっと丸めてゴミ箱にポイ!

それだけのことですが、意外にも効果絶大。気分が軽くなります。

 

以前は嫌なことがあったりすると、延々と考え込んでました。

なんでこんな目に遭うんだろう。

なんであの人はそんな態度をとるんたろう。

なんでそんなこと言われなきゃいけないんだろう。

 

でも、ある日ふと気づいたんです。

不毛以外のなにものでもない、と。

私は(嫌なことを言ってくる)あの人ではないし、あの人が何を思ってそんなことしてくるのかは本人にでも問いたださない限り知り得ない。

だったら考えたって仕方がない。

不毛な考えはくしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に捨ててしまおう。

 

以来、モヤモヤすることがあると頭の中で紙に書いて丸めて捨てるように。

実際に書いて捨てた方がもっとスッキリ感はあるのかもしれないけど、仕事中なんかだとそうもいかないし。

でもイメージだけでも十分スッキリする気がします。

 

丸めて捨てたら、もうそのことについては考えない。

捨てちゃったから、もうないもん。

気持ちの切り替えにもなるし、オススメです。

 

生きていると、嫌なこともモヤモヤすることも絶え間なく発生するもの。

嫌だなって感じないことがもちろん一番いいことなんだろうけど、そうもいかないし。

上手に自分の気持ちをコントロールして、気持ちも軽く生きていきたいです。

 

1日1ワイパー計画。

部屋を綺麗に保ちたいです。

ですが掃除は…掃除も、苦手で嫌いです。

本気でメイドさんを雇いたい。

でもダンナの稼ぎでは雇えない。

嫁ぎ先を間違えた。

いや、きっとメイドさんを雇えるようなお金持ちは私のようなずぼらには目もくれないか。しょんぼり。

 

これまでは、2~3日置きにいいかげんに掃除機をかけ、フロアモップで床をざーっと拭く、というのが基本の掃除、人が来る直前に大慌てで大掃除、という流れでした。

 

これだと、最低限暮らすことはできるけど、気持ちよくは暮らせない。

めったに来客のない我が家では、ちゃんと綺麗になることも数ヶ月に2~3日、といったところ。

ものすごく綺麗にならなくてもいいけど、もうちょっと気持ちよく暮らせるようになりたいなぁ。

 

と、いうことで、ずぼらなりに考えてみた。

 

いくら気持ちよく暮らしたいと言っても、毎日がっつり掃除なんてめんどくさい(人としてどうなのか)。

できるだけ楽に、そこそこ綺麗がキープできればいいのだが。

 

そもそも、掃除機だけでは障子の桟にホコリが溜まって、かけてもかけても綺麗になった気がしない。

掃除機をかけるのはホコリを吸うためで、そのホコリがなければ掃除機をかける頻度も減るのでは?

まぁ、減らないにしても、掃除機かけは楽になるんじゃなかろうか。

 

と、いうわけで、使い捨てのハンディワイパーで家中の障子の桟(我が家はやたらガラス障子が多い)やら棚やらを拭いてみる。

所要時間約10分。

あら意外と楽ちんかも。

高い所を拭いた後、そんなに汚れてないのでついでに床も拭いてみる。

どうせ使い捨てワイパーなら使いきってから捨てたい、という欲望に駆られ(単なるケチ)、さらに浴室とトイレの床も拭いてみる。さすがにここまで拭くと真っ黒け。

これで心おきなく捨てられる。あぁすっきり。

ここまでやっても30分ほど。

 

ふむ。これなら毎日できるかもしれない。

掃除!って気張らず(そもそも掃除といえるレベルなのか)、ラジオ聴きながら軽い気持ちでできそう。

ワイパーだけなら、朝起き抜けにささっとできてしまいそう。

仕事から帰ってからやろうと思うと、なかなか重い腰が持ち上がらないので、起き抜けのどさくさに紛れてやってしまえば、目は覚めるし部屋は綺麗になるし一石二鳥。

で、仕事から帰ってから掃除機をささっとかけて、気力体力のある日はどこか1箇所を徹底的に掃除するのはどうだろう。

 

1日1ワイパーは先週から始めて、今のところ毎日(といってもたかだか1週間)続いてる。

今日は仕事明け元気があったので、所々黒く汚れていたフローリングをごしごし。

 

始めてまだ1週間ですが、これならなんとか続けられそう?

何より少しずつ綺麗になっていくのが嬉しい。

誰かが綺麗にしてくれるのが一番なんだけど、そんなのは夢のまた夢なので、このやり方でぼちぼち頑張るかな。

 

気がつけば11月ももう半ば。

年末の大掃除を少しでも楽にするため、

気持ちのいい年末年始を迎えられるよう、

少しずつ頑張ろう。

家事時間を減らしたい。洗濯篇

家事が苦手で、なおかつ嫌いです。

初っぱなから主婦失格発言 笑

どのくらい苦手で嫌いかというと、財力が許すならお手伝いさんを雇って家事の一切をお任せしたいくらい。財力が許さないので渋々やってますが。

 

元々苦手で嫌々やっていたのが、上の子の反抗期に翻弄されてますます嫌々になっています。借金してでもお手伝いさんを雇いたい。

しかし借金して一番困るのは自分自身なので、嫌々でもしますが。

 

同じ時間を使うなら、家事よりも趣味の手仕事とかそっちの方に使いたい。

ということで、家事の時間を減らす努力をしてみようと思います。

やりたいことをやるためなら努力は惜しみません。

 

第一の嫌々家事、それは洗濯。

洗濯自体はそんなに苦じゃない。洗濯機に放り込むだけだから。干すのもまだいける。

嫌なのは取り込んだ洗濯物を畳んで片づけること、名付けて「洗濯物片づけるのめんどくさい問題」。基本片づけが苦手。

 

いつもは、全部まとめて取り込んで居間の自分のスペースに放り投げたあと、暫し放置。

いつまでも放置していても変わらないので、意を決して畳んで各人別に積み上げる。

畳み終わったらそれぞれの収納場所に突っ込んで終了。この取り込んでからしまうまでが長い。嫌々なのでだらだらやってしまう。

この「取り込んで、しまう」の工程を簡略化したい。

 

家族の様子を見ていると、しまい方に関して特にこだわりはなさそう。とりあえず畳んでしまってあれば、多少乱雑になっていても気にならないと見た。

なので、少々手荒に扱っても差し支えのなさそうな靴下と下着は取り込むと同時にくるりと丸めてランドリーバッグ代わりのIKEAバッグにぽい。それぞれの引き出しに投げ込み収納。

服は、アパレル勤務の経験を活かして取り込みながらぱぱっと畳んでIKEAバッグにIN。

カットソーがほとんどなので、ピシッと畳まなくてもいいので楽ちん。

 

全部取り込みながら畳んで引き出しに直行すれば、いちいち座って畳んで引き出しにしまいに行って…という時間が短縮されるんじゃなかろうかと。

一気に済ませてしまえるので、気持ち的にも楽なような気がします。

これで「洗濯物片づけるのめんどくさい問題」解決なるか!?

しばらく続けてみたいと思います。

 

片付けられないのは、誰のせい?

うちのムスメ、まったく片付けられません。

本当にびっくりするくらい。

部屋は足の踏み場もなく、まさにカオス(笑)

女の子の部屋なのに(というのはナンセンスかもしれませんが)、これではイカンでしょう。

 

片付けるように何度も促し、「片付けられなかったらライブ(夏休みに連れていく約束をしていた)に連れてかないよ!」とペナルティまで課しているのですが、まったく片付く気配もなし。

 

一体誰に似たんだか…私か?

 

私も片付けは大の苦手。一応、生活できるだけの最低限の片付けはするのですが、「片付いているのか」と問われると、とてもじゃないけど片付いているとは胸を張れない…。

 

そんな私が「片付けろ」と言ってもムスメが動かないのは当然っちゃ当然?

じゃあ、私がきちんと片付けたら、ムスメも片付けるようになる?

うーん。どうだろう。

 

とはいえ、私が片付ければムスメにも堂々と「片付けろ」と言えるし、ムスメも動かざるを得なくなるんじゃあなかろうか。

それより何より、私自身が気持ちよく生活できるようになるはず。

目指すはシンプルライフ!だもんな。

 

手始めに、物を減らせるだけ減らしてみようと思う。

持て余していた化粧品、(こん○りさん風に)ときめかないパジャマ代わりのTシャツ、サイズアウトしたのに諦めきれなかった洋服の数々、読み終わった雑誌、いつの間にか増えていた本…目につく物を片っ端から処分してみた。

今日1日だけでも結構な量に感じるけど、まだまだこれから。

徹底的に減らして片付けて、ムスメに正面きって「片付けろ!」といってやる!

見とけよムスメ!

 

 

 

いらないかもしれないもの。

ふと思い立って、リビングとして使っている和室のラグを取っ払って洗濯してみました。

午後からの作業だったので、その日の内には乾かず、その晩はラグなしで過ごすことに。

 

ラグなしで一晩過ごして思ったことは、ラグは要らないんじゃないか、ということ。

月イチで干して掃除機をかけるのですが、その度にラグの下から細かいゴミやなぜか子供たちの鉛筆やらオモチャやらが出てきてうんざり…どうしたもんかなぁと頭を悩ませていました。

でもそれって、ラグが敷いてあるからこその悩みで、悩みの原因=ラグがなくなれば解消されるんじゃない?

ラグがなければ、その下にゴミや小物が入り込むこともなくなるし、うんざりすることもありません。

ちょうどこれから暑くなる季節だし、ない方がかえって快適かも!

 

と、いうことで、試しにラグを敷くのをやめてみました。

取っ払ったラグは「やっぱりいるかも…」の時のため、しばらく保管。

夏が過ぎて、ホットカーペットかこたつを出す頃に使うかどうかで処分を判断します。

ホットカーペットならラグ必須なので引き続き所持、こたつでなくても良さそうであれば処分。

 

しばらく様子見の日々です。

 

生きることは、食べること。

ドラマ「アンナチュラル」、ハマって何度も観てます。石原さとみちゃん、可愛いなぁ。

法医学者として、時に女性蔑視の扱いにも負けず、かといって硬くならず、しなやかな女性に理想の女性像を感じます。

 

このドラマで印象的なのが、随所に登場する食事シーン。いろんな状況で、いろんな想いを抱えながら食べるシーンは、しみじみと「食べることは、生きること」なんだと感じさせます。

 

昨年亡くなった私の姑も「食べることは、生きること」を体現していました。

長年ガンを患いながらも、ビックリするくらい、食欲が旺盛な人でした。

離れて暮らしていたので、数ヶ月に一度しか会えなかったのですが、会うと必ず食事に連れ出しました。

ある時など「和食が食べたいけど、食欲があまりない」と言っていたのに、なんと鉄板焼きのコースを頼もうとして私たちを仰天させてくれました。前菜のサラダからメインまで肉づくし…食欲ないが聞いてあきれるよ、と苦笑いしたものです。

 

そんな姑が入院したと連絡があったのは昨年の今頃。

病院に駆けつけてみると、ベッドに寝かされてはいるものの、思ったより元気そう。

もしも食べられる状態じゃなかったら…と、お見舞いに食べ物を持参しなかった私は、とりあえず売店で桃缶を買い、ムスメたちと一緒に食べさせました。

 

「ごめんね、次に来るときは、美味しいイチゴを持ってくるね」

と言うと、姑はいらないと言うので、じゃあ何が食べたいかと聞くと、思いがけない答えが返ってきました。

 

「もう食べたいものはないわ。美味しいもの、いっぱい食べさせてもらった。ありがとね」

そのセリフに少し不穏な感じを受けつつも、またまたーと笑って受け流すしかありませんでした。

「来週は用事があって来られないけど、再来週また来るから。その頃には退院してるだろうから、美味しいもの食べに行きましょうね」

そう言って別れたのが最期になってしまいました。

 

「食べたいものは、もうない」

そう言った姑は、ムスメたちと一緒に食べた桃缶を最後に、何も口にすることなく、その1週間後に息を引き取りました。

 

今でもよく考えます。

あの時、姑がひとつでも食べたいものを思い浮かべていたら、もう少し長く生きていてくれたんじゃなかろうか。

私が漠然と「美味しいものを食べに行こう」ではなく、具体的に「おかあさんの大好きなお寿司食べに行こう」と言っていたら、それを目標に頑張ってくれたんじゃなかろうか。

どれだけ考えても、姑は答えてくれません。

 

姑の死後、部屋を片付けていたら、ベッドの隙間や引き出しから沢山のお菓子が出てきました。

糖尿も患っていて義兄から厳しく禁止されていたので、我慢できずにこっそり食べていたんでしょう。

それほど食に対して執着のあった姑にとって、まさに生きることは食べることだったんだと思います。

 

姑と再び美味しいものを食べること叶いませんが、今日もよく食べて、よく生きたいと思います。

 

 

制服で思い知る、親のありがたみ

4月から中学生のわがムスメ。

小学校は私服ですが、中学校は制服です。

ありがたいことに、少し上の娘さんがいらっしゃる方からほぼ新品の制服を譲ってもらえました。サイズアウトして買い換えた直後に引っ越しが決まり、数えるほどしか袖を通せなかったそう。いただく側としてはありがたい話ですが、なんでこのタイミングで引っ越し!?とショックな気持ちはよくわかります(転勤族あるある?)

ほぼ新品の制服が手に入ったことだし、制服は買わずにすみそうだな…と安心していた矢先、事件が勃発。

 

なんとムスメ、成長しすぎて譲ってもらった制服がパッツンパッツン(笑)

ほんの数ヶ月前までは余裕すらあったのに、スカートのホックは閉まらない、腕が上がらない…もうお手上げです、腕上がんないけど。

さすがに腕の上がらない、ホックの閉まらない制服で通わせるのは可哀想、ということで、大慌てで制服を注文に走りました。

 

採寸をしてくださるのは制服の採寸一筋ウン十年、といった雰囲気のご夫婦。

奥さまがサイズを測り、旦那さまがそれをもとに試着用の制服を持ってきてくださります…が、どうもお二人の様子が変。

「こっち…の方がお母さん的には…」

「でもそうするとだよ?……」

ボソボソと漏れ聞こえる会話の限り、既製サイズがないってことなのかしら…え、特注?特注っていくらすんの(汗)

 

意を決した奥さまが、重い口を開いてくださりました。

「お子さんのサイズだと、こちらの標準タイプのが作ってないんです…で、こちらのグレードの高い方になっちゃうんだけど、そうするとお値段がね…」

あ、よかった既製サイズはとりあえずあるのね(ほっ)

「ま、ま、長く使うものですからね。着心地よくなっていいかな(苦笑)で、おいくらくらい違うんでしょう?」

「えっとー、プラス2万円ですね」

おっとー、アッサリ言ってくれますな、プラス2万!!結構なプラスですよー奥さん(泣)

とはいえ、サイズないものはどうしようもない。これ以上サイズアップしないことを祈りつつ、プラス2万の制服、決定。

 

そこからは坂道を転がる雪玉のように、あれもいるこれもいる、と購入品が増え続け、最終的には10万オーバー(泣)

奥さまの話では、女の子の制服代の平均が7万円前後ということなので、うちのムスメは随分デカイということなのでしょうか(泣)

 

帰り際、腹立ち紛れに「あんたの制服のおかげで私は1ヶ月タダ働きだよ」と呟くと、「うわー悲惨ーがんばれー」とムスメ。他人事か。

 

子どもの進学にはお金がかかる、というのは承知していたつもりでしたが、制服ひとつでこんなに出費があるとは。

そういえば…私が中学校に上がる時も、制服の採寸に付き添った母がしきりにため息ついてたなぁ。

私も大概ガタイがよかったので、標準よりだいぶ上乗せされてたんだろな…そりゃため息も出るわ。

 

高校は制服のカワイイところ♪と呑気なことをのたまい、やれ留学したいだ大学はここに行くだと費用も考えず突っ走っていた子どもの頃の私…とんだバカムスメ。

あの頃に戻れるならバカ丸出しの横っ面をベシベシはたいてやりたい(泣)

そのバカムスメの要望を文句ひとつ言わず叶えてくれていた両親には、今更ながら頭の下がる思いです。

 

先日、別件で母親と電話で話すことがあり、ついでにムスメの制服の一件と私が思い知った親のありがたみについて話すと、母親はゲラゲラ笑って言い放ちました。

「親なんてそんなもんよ。○○(ムスメ)も子どもの制服を買う段になって初めてあんたのありがたみを知るのよ、それまで辛抱なさい」

そっかー、そんなもんかー。

 

子どもの頃から、いくら「お金を稼ぐのはこんなに大変なんだよ、だからよく考えて大事に使わなきゃいけないのよ、欲しいからって片っ端から買ったりしちゃいけないのよ」なんて繰り返したところで、なかなかそれが実感に繋がることは難しい。

大人になって、自分が親にしてもらってきたことをするようになった時に初めて実感するものなのかもしれません。

親の心子知らず、というのはまさにそうだな、と身に滲みた一件でした。